富盛の石彫大獅子との出会いは2018年8月。
そこは偶然立ち寄ったところで、お世辞にも人気なスポットとは言えないような・・あまり人気(ひとけ)の無い雰囲気。
そこに何も言わず佇んでいました。
沖縄の「シーサー」に向き合うきっかけ
その風貌は「シーサーのようで少し違う・・?」と感じたものです。
富盛(ともり)の石彫大獅子という呼名を持つ、そのシーサーのようなものは ” 3世紀以上にわたり、火山といわれていた八重瀬岳を見つめ続けた石彫の大獅子” とも言われ、昭和49年に沖縄県指定された有形民俗文化財ということを知りました。
この富盛の大獅子のある場所は「勢理城(ジリグスク)」と言い、八重瀬町字富盛(ともり)に位置しています。
城壁や何かしらの形状のものはなく、ガジュマルなどの大木や草木が生い茂る城跡。八重瀬の町が一望できる高さにあり、現在は数本しかないのですが、昔はガジュマルの森だったとの記述も見つけました。
勢理城は、富盛集落の西側、標高約90mの独立した石灰岩丘陵に位置し、周囲は崖状の地形になっています。一つの広場となった郭には石積み等の遺構は見当たらず、尚貞王21年(1689年)に造られた富盛の石彫大獅子が八重瀬岳に向かって建てられいています。
勢理グスクの築城時期については文献がほとんど残っていないようで、出土遺物からしても、築城者や築城の目的などを含めて不明となっているという不思議な城。
勢理城は八重瀬城よりも先に築城された城で、領域の人口の増加によって、八重瀬城(八重瀬岳には白梅学徒隊が従事していた病院壕もあります)へ移ったとの伝承があるとのことでした。
勢理城内の周りには「下の三御嶽」と呼ばれる中間之嶽、フラウ之嶽、比嘉森があります。
富盛の石彫大獅子の誕生と歴史
案内に従って住宅地の中を通り少し急な坂を登ると駐車場があり、石段を上がった先にある広場には、シーサーが一体。
これが『富盛の石彫大獅子』で、沖縄県最古のシーサーと言われています。
*現存する”村の石獅子の中で最も古い”とされています( ” 琉球最古 ” は別にあると見つけました♪)。
シーサーの素材は、この富盛の大獅子のように一つは琉球石灰岩を彫って造った石獅子。二つ目は、民家の赤瓦屋根の上で見かける瓦と漆喰で造られた屋根獅子。そして、三つめは陶器の焼物の3種類。
この富盛の石彫大獅子は1つの岩から彫られています。
ヒーゲーシ(火返し)として、1689年に置かれた獅子で、昔からこの地域の守り神として信仰の対象とされてきました。
と、言うのもこのシーサーが建てられる以前の富盛地区は、なぜか火事が頻発しており、不安な日々を過ごしていた村人たちは、ある風水師(久米村の蔡応端(太田親雲上))に相談します。
『球陽』という本に「その昔、火事が多かった富盛村が風水師に相談したところ、「ヒーザン(火山)である八重瀬嶽(岳)に向かって獅子を立てよ。と助言され、石獅子置いたところ、火事はおさまった。」という記述が残っています。
そこから、各地の村に石獅子が置かれるようになりました。
製作者は不明。
ただ300年以上の月日を経てなお劣化が少ないのも、この富盛の大獅子の特徴の1つだと考えられていて、今でも大獅子なりにずっと村を見守っているように見えます。
富盛の大獅子は、地域住民にとっては古くから地域の守り神のような存在でした。
- 旧暦10月1日のカママーイ(竈のお願い・防火儀礼)の行事ではノロを先頭に役目が大獅子像を拝んでいた
- 戦前まで、ノロの役目は約180cmの竹を束ねて巡り「サリーサリーユーカンヒーマーチウミチミラショーリ」と呼び掛け、台所の整理の行き届かぬ家庭の主婦は竹で尻を叩かれるというものだった
- 旧暦9月9日のタントゥイ棒のときに、地域の青年達が勢理城に集まり棒踊りを奉納していた
というような祭祀があったようです。そんな『富盛の石彫大獅子』は、地域の守り神です。
しかし悲しい戦争の傷跡が残る「沖縄最古のシーサー」とも呼ばれています。
戦争の証人 富盛の石彫大獅子
1945年(昭和20年)の6月ごろ、中部から進軍した米軍に対し、日本軍司令部は首里を放棄して南部撤退してきます。
この富盛地区は丘陵地帯ということもあり、陣地を構え防衛拠点にもされました。
周辺は激しい地上戦の最前線となり、米軍に弾除けなどとして使用され、現在もその時の弾痕を残しているのです。
この富盛の石彫大獅子が沖縄戦の際に米軍が撮影した写真にも写っており、弾除けとされていました。
沖縄戦の戦禍をくぐり抜けて今も八重瀬岳を見つめる富盛の石彫大獅子を見つめていると、悲しくも大らかな雰囲気が頼もしさを感じさせてくれました。
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富盛の石彫大獅子 場所
名称 富盛の石彫大獅子 (Tomori Stone Lion)
場所 沖縄県島尻郡八重瀬町富盛22
*スマホのナビでも「富盛の石獅子」検索で表示されます
富盛の石彫大獅子は琉球石灰岩で作られています。
「誰もが知る観光スポット」ではありませんが、沖縄の歴史の1つを垣間見ることができますね。石獅子からシーサーへの移り変わりなども、落ち着いたら追ってみましょう。
あとがき
「村の人たちの願いと作者の思いのみで作られる石獅子」という素敵な言葉が印象的。先日購入し、現在進行形で読み進めている途中です。
多くあったとされる村の石獅子たちは、戦争によって破壊されたり、戦後の復旧工事や基地建設などでどこにあるのかわからないものも。
今ある村の石獅子たちにも、少しづつ会いに行ってみようと思います。
《読んでほしい過去記事》