遠いところ【映画のオハナシ】

なな語り
スポンサード リンク

遠いところは沖縄で先行上映している映画です。

CMで知ってからすぐ、観にいきました。決して盛っている訳ではない、本当にある沖縄の顔でもある社会問題を、どのように描いているのかが気になったのです。

沖縄の社会問題、という一言で片付けるにはあまりにも身近すぎる問題の映画でした。この映画遠いところのレビューにも、いくつか「所々自分と重なるとこもあったり辛くて」と主人公と自分を重ねてみる方が多いことが、それを象徴しているように思えます。


映画 遠いところの内容を少し紹介しますね。
( 以下、ネットから拾った解説 )

” 沖縄県のコザで幼い息子を抱えて暮らす17歳の女性が、社会の過酷な現実に直面する姿を描いたドラマ。

沖縄のコザで夫と幼い息子と暮らす17歳のアオイは、生活のため友達の海音と朝までキャバクラで働いている。建築現場で働く夫のマサヤは不満を漏らして仕事を辞めてしまい、新たな仕事を探そうともしない。生活が苦しくなっていくうえに、マサヤはアオイに暴力を振るうようになっていく。そんな中、キャバクラにガサ入れが入ったことでアオイは店で働けなくなり、マサヤは貯金を持ち出し、行方をくらましてしまう。仕方なく義母の家で暮らし、昼間の仕事を探すアオイにマサヤが暴力事件を起こして逮捕されたとの連絡が入る。

「すずめの戸締まり」に声優として出演した花瀬琴音が主人公アオイ役を演じ、映画初主演を果たした。「アイムクレイジー」の工藤将亮監督が、実際に沖縄で取材を重ねて脚本を執筆し、オール沖縄ロケで撮影を敢行した。第23回東京フィルメックスのコンペティション部門で観客賞を受賞。”

私にとっても他人事では済まなかった部分もあって、観ていて苦しくなりました。

モノゴトが1つもつれると、あとはどんどん絡まっていきます。
そのもつれを個人の力だけで元に戻すのは本当に難しいことなのですが、ほとんどは自分を責め、他への相談ができなくなります。そして怖いのは、現状を改善するなど考えることには行きつかないこともあるのです。

以下、私の過去の話をちょこっとしていたブログリンクを置いておきます。

小学生の頃。成績も良く大人しく責任感もあり常に学級委員や学期ごとに何かしら表彰を受ける代表的な優等生。

でもその裏には、大好きだった母親が自殺未遂しのち両親が離婚。
中学三年頃から次第に道をそれ始め(笑)、

なんとなく優等生という立ち位置のまま、高校三年には飲み屋でバイトしたり家に帰らなくなったりし、十九歳にはかけおち同然で子供ができました。

働かない、就労しても続かない旦那と子供を抱え、子供を夜間保育に預け、泣く我が子に胸を引き裂かれながら飲み屋で働き、第二子が生まれた時にはついに夜も昼も働き、一か月で体重が10kgくらい激減しました。

電気や水も止められ、
借金から電話や訪れる人が怖くて
とにかく日々を過ごすことで必死でした。
まわりからおかしい状態でも、その時の私は
これが全てだったんですね。

ネガティブな感情は押し込むな

気が付くと・・・
一人親になってもうすぐ20年。
ゼロではなく、マイナスからのスタートでした。

寂しい想いはさせないように
部活をしたいと言ったらさせてさせてあげられるように
(贅沢な意味ではなく)食べたいものを食べていけるように

「普通の生活をしたい」

そんな気持ちで走った最初の10年。
少し手が離れて自分の時間ができるようになり、今度は
「こんな大人になりたいな」
と子ども達が思えるような仕事観、大人になることへの希望を持たせていきたくて
好きなことで仕事をする・苦手なことをどう克服する・得意なことを
どう仕事に結びつける、などということを自分のテーマとし
手さぐりで歩いてきました。

それでも

寂しい想いはしてきただろうし
我慢もいっぱいしてきただろうと思います。

それでも

優しく強い子に育ってくれました。
素直でまっすぐに他人を思いやれる子に育ってくれました。

「ありがとう」
何気にあなたたちのくれるその一言にはっとする瞬間があります。
「ありがとう」「ごめんなさい」そんな言葉を
私はちゃんと彼らには言っているのだろうかと。

「子育て」は、大いなる自分の成長の糧

「普通に生きたい」

もしかしたら今と違った選択をした私の姿でもあったかもしれない。
そう思い胸が熱くなりました。

飲み屋へ働き、子どもを夜預け、働かないパートナーに金を取られていました。
そのお金は生活費を稼ぐ名目でギャンブルへと消えていき、隠していたお金も取られる始末。電気・ガス・水道のライフラインを止められ友人宅へお世話になることもありました。奇しくも映画と同じように、その友人は親友と言える幼少期からの仲で、こんな境遇の私を理解できる似たような選択をしている彼女でした。

映画を観ていて感じた、市役所を含めたいわゆる”一般的”な人たちとの距離感と見ている、感じている、立っている世界の違い。もしかすると映画でそのシーンに違和感のある空気を感じ取れた方もいるのではないでしょうか。

リアルな世界でも、大袈裟でもなくそういうシーンは山ほどあります。

例えば(今はどうかわかりません、10年以上も前のことです)、母子家庭手当の支給には、公益社団法人 沖縄県母子寡婦福祉連合会なるものに強制入会のような形で、年会費1,000円を窓口で払います。

その教会からは年に数回、遠足などのプチイベントのお知らせがきますが、仕事の兼ね合いや知らない人とわざわざ時間を過ごすおっくうさもあって行ったことはありませんでした。

その1,000円すら疑問に思った私は、たまらず聞いたことがあります。
「この活動って参加できないことが多いのですが、意味ありますか?」と。

答えは市役所的な回答すぎて、近くにいてほしい存在が意味をなさないことが残念でなりませんでした。言い合いもめんどくさいので仕方なく支払いましたが、結局最後まで何がどう役に立ったのかわからないまま、子どもたちは成人しました。

また、映画のワンシーンで主人公が途方にくれたまま祖母の連れ立つ車に乗っていた時にラジオから流れる「一人も取りこぼさない政策を」という現知事の(ある意味有名な)演説が虚しく響いていたのは皮肉があって苦笑いしました。

「そこじゃないよなぁ」と思える政策を取り続け、実を結んでいかないまま時が過ぎていくのは沖縄のみならず日本全体に当てはまることがほとんど。

この映画 遠いところを観て自分と重ねてしまう、境遇が理解できる立場、そう声を挙げる女性が多いのは、本当に紙一重の生き方をしている「沖縄」の現実がそこにあるのです。

今、県立中学校への入試をする(・・・させる?のかな)子どもが増えているそうです。公立に比べて数倍もお金がかかりますよね。その反面、家でまともに食事を取ることができないどころか入浴すらままならないところもある実情を耳にして驚きました。

このように、日を追うごとにさまざまなことが二極化しています。
この国はどこに向かっているのでしょう。

沖縄から貧困がなくならない本当の理由
夜を彷徨う 貧困と暴力 沖縄の少年・少女たちのいま

【 沖縄関連映画の過去記事 】

スポンサード リンク