ミラクルシティコザ【映画のオハナシ】

どたばた日記

桐谷健太主演の「ミラクルシティコザ

沖縄で先行上映が行われるということで、早速観てきました♪

予告での若干垣間見えるチープさが多少(面白いかな・・)との不安があったのですが、沖縄県民からしてみると馴染みのある沖縄の昔からの芸人さんが出ていて、その方たちから繰り出される違和感のない軽快なうちなーぐちがで笑ったり、最後にはなんとも言えない切なさや復帰後で生まれた私にとって、情報でしなかなった復帰前の沖縄の一面やコザ暴動の一面を知ることができた内容でした。

2月4日から東京、大阪などで公開されるということで、そのうちなーぐち部分が理解できるか気になるところではありましたが、それはストーリーを彩る大切な部分なので受け入れて欲しいと思います(^^;;

ミラクルシティコザの簡単なストーリーとしては、復帰直前の1970年、コザ市(現沖縄市)で米兵らにパワフルな歌を聞かせるロックンローラーの体に、現代のヘタレな孫の魂が入り込むという内容になりますが、詳細は数ある映画内容情報をご参考いただいた方が良いですね(^-^;、きっと。

映画を見終えた後にtwitterで書き込んだつぶやきに、なんと!!ミラクルシティコザの監督さんや関係者の方々が良いね!やリツイートをくださったりで嬉しかったです。

余談ですが、監督平一紘さんはエゴサーチの鬼とも呼ばれているようで、画像だけのツイートにも全て反応されていることに畏敬の念(大げさか💦!?)にも似た思いを抱きました。

沖縄を題材にした映画は、これまでにいくつかもちろん観てきましたが、ここまで幅広い年代に観て欲しい映画は久しぶりです。

海が綺麗で、温厚な人が暮らす沖縄。
どことなく異国情緒のある沖縄。

観光でいらっしゃる方の多くは、明るい側面の沖縄を見ていてくださっていることがほとんどだと思います。

戦争を知らず、復帰後に生まれ、慰霊の日などでしか戦争を振り返ることのないような私たち世代からしても、どこかで絵空事のようになっている沖縄の抱えた暗い部分。

それらを経験してきた方々からすると本当にミジンコのようなちっぽけではありますが、少し自分自身の住む沖縄を考える時間となりました。

小さい頃に当たり前に週末に家族で寄った軍卸品のお店は、ノスタルジックで好きでした。

季節ごとに開かれるフェンス1つ隔てたアメリカの中でのフェスタが楽しみでした。

基地内の可愛らしい白い平屋の建物、整った芝生の庭・・憧れに似た気持ちで「いつかあんなとこに住むんだ」と夢見ていました。

クラスには普通にハーフの子がいたり、学校の帰り道に同じく歩いていた外国の子と言葉は通じないくせに友だちになって遊んで帰ったこともありました。

年頃になると、Yナンバー(基地内やアメリカ軍従事の外国人車両)に英語や拙い日本語でナンパされることもあったり、外国人の彼氏を持つことをステイタスとするような女の子が登場したりしました(軽蔑的な言葉ですが、アメ女と呼ばれていましたね〜)。

ディスコ(今ではクラブ。。ですね)に行けば外国人は普通にいましたし、生活圏内に当たり前に隣同士でした。


おばぁたちがなんとなく話す英語や作り上げてきたうちなー語ともいうべき言葉(メリケン粉とか)が標準語だと思っていた昔から、私は本当は学ぶべき時間がそこにあったのを今更ながらに気づいた気がします。


反面、飛行機(軍のもの)が住宅地に墜落したり、何かしらの落下物を落としたり、生活圏内のすぐ近くで実弾を使用した演習が行われたり、性的被害や暴行にあう人がいたり・・そんなことも「またか」という、思うと当たり前の日常に存在しているんですよね。

以前のブログでは以下のようなお話もしています。お時間のある方はお付き合いください(^-^
6月23日 沖縄「慰霊の日」は、平和について改めて考える時間を持つ日

また、今回の映画「ミラクルシティコザ」で取り上げられているのは沖縄復帰ですが、沖縄では「屈辱の日」と呼ばれている日もあることをご存知でしょうか。

当時は「屈辱の日」という認識ではなかった様子”という言葉とともに新聞に掲載されていた、ある小さな記事。ほんの10年ほど前に、恥ずかしながら私も知りました。

1952年4月29日付の(地元新聞)沖縄タイムス社説にあった記事は、まず「祝福」の言葉があって、その後に「取残された溜息」続くその内容は「4.28」というもの。


4.28サンフランシスコ講話条約発効から64年。

1952年、サンフランシスコ講和条約が発効しその結果、沖縄が日本から切離された日が4月28日、つまり、日本は国土を分断され、沖縄が日本では無くなった日なのです。

沖縄返還が単なる日本への返還にとどまらず、その当時、他国に目を向けるとベトナム人民の不屈な闘いにリンクし、歴史的由来を持って当時の革新陣営が設定したものでした。簡単にここで書くことはできない内容でしたので、関連記事の中から分かりやすいものをリンクしておきます。

2013年4月20日 琉球新報
61年4月8日「屈辱の日」は生まれた 復帰協、総会で決定

観光立県「沖縄」。


(コロナ前は年間の来沖者数はどんどん増加の一途をたどっていました。)
明るく、のどかな県民性がうたわれていますが、その背景にあるものも、汲んでいてほしいと思っています。どの県、どの国にもそれぞれの過去の闇はあるのかもしれませんが、それらは沖縄の特異な過去でもあるのかもしれません。