守りたいもの、伝えたいものがあるということ

ななちゃれんじ
スポンサード リンク

先日、「77年」という歳月のもとというタイトルで綴ったお話があります。

*これからお話する今回のお話も、続編のような内容となりますことをご了承ください。 また、今後も流れに動きがあれば綴って行くと思いますので、よろしくお願いしますm(__)m 何かしらの団体に所属しているということでもありません、ただただ、私なりの平和についてできることを考えているお話です。このようなお話が苦手な方は、読み進めないことをお勧めします。

何気に流していたテレビの特集がことの発端。

広島・長崎の原爆投下の日に合わせた内容で、「被爆地の広島で平和活動、原爆の悲劇伝える米国人女性」というものでした。バーチャルで原爆投下の前後を体験できるものを開発し、今現在”平和活動をビジネスとしてしていきたいという若者のためにシステムを作るのが課題”と話していた姿が印象に残り、なぜかすごく「私も沖縄でそれをやりたい!」と唐突に感じ、NHKに問い合わせ、その機関に(恐れ多くも)メールをさせていただいたというお話です。

8月16日に問い合わせ、返信が来たのが今日8月26日。
不躾だったのかもしれないし、機関がこんな個人からのそのような問い合わせにいちいち返事は来ないかもしれない・・と、実は若干諦めていました。

「そろそろ他の方法模索して行かないとかな」

とメールフォルダを確認したとき!!
返信をいただいていたのです(号泣)!

以下、冒頭のみスクショしたものです(嬉しすぎて記念)。

なんと・・この間にメールを差し上げたご担当者様は、わざわざ個人である私のためにVRの担当の方にいろいろ確認していただき、その内容をまとめてお送りくださったのでした。

このお手間をもとに、私は大事に沖縄で育てたいです。
返信の内容をもっと理解し、どこに協力を求めればいいのかを考えていきたいと思います。


戦争で家族全員を失い、ずっと探し続けながら学校や地域などで戦争体験を話し綴りながら伝えているおばあ。戦争のことはもとより、自分自身の多くを語らずおばあや家族を守り続けた今は亡きおじい。

繋がり続けて今、私がいることを忘れずに
おばあの涙を、おじいの大きさを私なりに報いていきたい。

今年、例年になく戦争に関する様々な内容を目にします。もちろん、それはウクライナのことがあるからこそなのだと痛感していますが、そこから芽生えた「本当の平和」へ向かっていけることを願わずにはいられません。

先日、沖縄でもやっと上映開始された

島守の塔

映画「島守の塔」を観に行くことができました。一般人の戦争体験とはまた違う目線で知ることができ新鮮でした(若干、内容に思うことはありましたが)。

ただ

映画の内容より私が心に、耳に、胸に残ったのは映像内での砲弾の音や衝撃、目の前に転がるように放置されている人々や、年端もいかない子どもたちが看護兵や健児としてその時に存在していた現実でした。

詩人で数多くの絵本を輩出し、大人でも馴染みのある谷川俊太郎さんが話した「言葉には限界がある」という一言が耳に残ります。「へいわとせんそう」は、そこから生まれた多くを語らずしてせんそうを感じる絵本でした。


漫画家の水木しげるさんの「総員玉砕せよ!」の逸話ドラマもかなり考えされられました。

自分にできることをできる方法で、先人たちは伝えています。私自身、なぜここまで思いを実現させたい気持ちに突き動かされているかは自分でも不思議なくらいです。

それでもきっと、文字や言い伝えではなく、リアルで目で視る・音で聴く、肌で感じるということにつながることが、「他人事」ではなく「いつか自分に起こることかも」となんとなくでも思うようになることじゃないかな、と考えています。

【関連記事】
戦跡から「沖縄戦」を見つめ直した、もう1つの沖縄

スポンサード リンク